2026年、夏。
全世界で登録者数が5,000万人を突破した、完全没入型(フルダイブ)メタバースプラットフォーム『AETHER(エーテル)』。
脳波同調型の最新型VRデバイス『Neuralink-V』を装着することで、視覚・聴覚のみならず、微小な電気刺激による『触覚』や『温度』までをも100%リアルに体験でききるこの仮想空間は、人々に「第二の現実」として爆発的に普及していた。
だが、その完璧な理想郷の裏で、不気味な事件が静かに進行していた。
千代田区大手町、警視庁本部・刑事参事官室。
重苦しい空気の漂う室内に、大野厳造参事官の怒号が響き渡った。
「VR…だぁ⁉画面の中で遊んでる奴らが急に目を覚まさなくなったから調べろだと⁉サイバー対策課の仕事だろうが!」
ダブダブのスーツに身を包んだ大野が、デスクに叩きつけたのは『AETHER内連続意識障害事件』の捜査資料だった。
その向かいには、眉をひそめる藤堂玲香警部、そしてソファーに腰掛けるチームslaboの面々—椎名賢人、エラ・バンス、比嘉瑠菜の姿があった。
「大野参事官、単なるゲーム中の事故ではありません」
藤堂が冷静に捜査資料のページをめくる。
「過去1カ月で、東京都内だけで12名。いずれも『AETHER』にダイブしたまま自室で倒れ、病院に搬送されました。全員、脳波はいきているものの、意識が一切戻らない昏睡状態…。さらに、病院の集中治療室で心不全を起こし、危篤状態に陥るケースが相次いでいます」
「医学的な異常はありません」
エラが静かな声で言葉を重ねた。
「心拍数や血圧の急激な低下…まるで、現実世界にある自らの『身体』を、脳が不要なものと拒絶し始めているかのような状態です」
「…身体の拒絶、か」
賢人は静かに立ち上がり、窓の外に広がる東京の街並みを見下ろした。
寸分の狂いもなく、眼鏡のブリッジをスッと押し上げる。
「被害者たちの共通点は?」
「全員、『AETHER』内の特定のプライベートエリア…『楽園(エデン)』と呼ばれる未開放エリアにアクセスしていた履歴が残っています!」
比嘉が膝の上のノートPCを爆速で叩きながら報告する。
「出も、その『楽園』のサーバーログを解析しようとすると、完璧な幾何学暗号(コード)でブロックされちゃって…!私のスパコン並列処理でも、解読に10時間はかかりますっ!」
「幾何学暗号……。位相空間を用いた高次元の数式ロックか」
賢人の瞳の奥で、鋭いロジックの光が走る。
「比嘉さん。その暗号のアルゴリズム…『N-Zero方式』の変形だな?」
「えっ…⁉賢人先輩、見ただけでわかちゃったんですか⁉」
比嘉が目を見開く。賢人はかすかに目を細め、静かに呟いた。
「間違いない。…あの男だ。鳴海零(なるみれい)」
「鳴海…?誰よ、その男は」藤堂が尋ねる。
「大学時代の僕の同期であり、『AETHER』のシステム設計を統括した天才プログラマーです」
賢人は振り返り、大野と藤堂を真っ直ぐに見据えた。
「彼はかつて言っていました。『不完全で、病や痛みに満ちた現実の肉体(ハードウェア)は、人間にとって最大のバグだ』と。…彼は今、メタバースを使って、人々の意識を現実から完全に切り離そうとしています」
大野が不機嫌そうにガムを噛み砕き、ギラリとした眼光で賢人を睨みつけた。
「ハッ…また理屈っぽいお勉強馬鹿の登場か。絵空事の仮想空間だろうが、現実の人間を害してんならただの重犯罪だ」
大野が力強くデスクを叩き、立ち上がる。
「おい小僧、比嘉の嬢ちゃん!その『AETHER』とかいう画面の中に、俺たちの捜査の足を突っ込むぞ!現場がネットの中だってんなら、そこへ乗り込んで犯人の足跡(ログ)を掴むまでだ!」
「大野参事官…VRゴーグルを被るおつもりですか?」藤堂が思わず呆れ顔を浮かべる。
「当たり前だろ!現場に足を踏み入れねえ刑事(デカ)がどこにいる!」
「…ふっ。頼もしいですね、大野参事官」
賢人は不敵な笑みを浮かべ、眼鏡のブリッジを再度押し上げた。
「では行きましょう。現実を『バグ』と切り捨てる天才への、デバッグの始まりです」
チームslaboと大野参事官が、未知なる仮想空間『AETHER』へと足を踏み入れる――!
第1話:虚構の理想郷(AETHER)【完】
