第1話:虚構の理想郷(AETHER)

2026年、夏。

全世界で登録者数が5,000万人を突破した、完全没入型(フルダイブ)メタバースプラットフォーム『AETHER(エーテル)』。

脳波同調型の最新型VRデバイス『Neuralink-V』を装着することで、視覚・聴覚のみならず、微小な電気刺激による『触覚』や『温度』までをも100%リアルに体験でききるこの仮想空間は、人々に「第二の現実」として爆発的に普及していた。

だが、その完璧な理想郷の裏で、不気味な事件が静かに進行していた。

千代田区大手町、警視庁本部・刑事参事官室。

重苦しい空気の漂う室内に、大野厳造参事官の怒号が響き渡った。

「VR…だぁ⁉画面の中で遊んでる奴らが急に目を覚まさなくなったから調べろだと⁉サイバー対策課の仕事だろうが!」

ダブダブのスーツに身を包んだ大野が、デスクに叩きつけたのは『AETHER内連続意識障害事件』の捜査資料だった。

その向かいには、眉をひそめる藤堂玲香警部、そしてソファーに腰掛けるチームslaboの面々—椎名賢人、エラ・バンス、比嘉瑠菜の姿があった。

「大野参事官、単なるゲーム中の事故ではありません」

藤堂が冷静に捜査資料のページをめくる。

「過去1カ月で、東京都内だけで12名。いずれも『AETHER』にダイブしたまま自室で倒れ、病院に搬送されました。全員、脳波はいきているものの、意識が一切戻らない昏睡状態…。さらに、病院の集中治療室で心不全を起こし、危篤状態に陥るケースが相次いでいます」

「医学的な異常はありません」

エラが静かな声で言葉を重ねた。

「心拍数や血圧の急激な低下…まるで、現実世界にある自らの『身体』を、脳が不要なものと拒絶し始めているかのような状態です」

「…身体の拒絶、か」

賢人は静かに立ち上がり、窓の外に広がる東京の街並みを見下ろした。

寸分の狂いもなく、眼鏡のブリッジをスッと押し上げる。

「被害者たちの共通点は?」

「全員、『AETHER』内の特定のプライベートエリア…『楽園(エデン)』と呼ばれる未開放エリアにアクセスしていた履歴が残っています!」

比嘉が膝の上のノートPCを爆速で叩きながら報告する。

「出も、その『楽園』のサーバーログを解析しようとすると、完璧な幾何学暗号(コード)でブロックされちゃって…!私のスパコン並列処理でも、解読に10時間はかかりますっ!」

「幾何学暗号……。位相空間を用いた高次元の数式ロックか」

賢人の瞳の奥で、鋭いロジックの光が走る。

「比嘉さん。その暗号のアルゴリズム…『N-Zero方式』の変形だな?」

「えっ…⁉賢人先輩、見ただけでわかちゃったんですか⁉」

比嘉が目を見開く。賢人はかすかに目を細め、静かに呟いた。

「間違いない。…あの男だ。鳴海零(なるみれい)

「鳴海…?誰よ、その男は」藤堂が尋ねる。

「大学時代の僕の同期であり、『AETHER』のシステム設計を統括した天才プログラマーです」

賢人は振り返り、大野と藤堂を真っ直ぐに見据えた。

「彼はかつて言っていました。『不完全で、病や痛みに満ちた現実の肉体(ハードウェア)は、人間にとって最大のバグだ』と。…彼は今、メタバースを使って、人々の意識を現実から完全に切り離そうとしています」

大野が不機嫌そうにガムを噛み砕き、ギラリとした眼光で賢人を睨みつけた。

「ハッ…また理屈っぽいお勉強馬鹿の登場か。絵空事の仮想空間だろうが、現実の人間を害してんならただの重犯罪だ」

大野が力強くデスクを叩き、立ち上がる。

「おい小僧、比嘉の嬢ちゃん!その『AETHER』とかいう画面の中に、俺たちの捜査の足を突っ込むぞ!現場がネットの中だってんなら、そこへ乗り込んで犯人の足跡(ログ)を掴むまでだ!」

「大野参事官…VRゴーグルを被るおつもりですか?」藤堂が思わず呆れ顔を浮かべる。

「当たり前だろ!現場に足を踏み入れねえ刑事(デカ)がどこにいる!」

「…ふっ。頼もしいですね、大野参事官」

賢人は不敵な笑みを浮かべ、眼鏡のブリッジを再度押し上げた。

「では行きましょう。現実を『バグ』と切り捨てる天才への、デバッグの始まりです」

チームslaboと大野参事官が、未知なる仮想空間『AETHER』へと足を踏み入れる――!

第1話:虚構の理想郷(AETHER)【完】

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第2話:ダイブ・イン・バグ

「う…うおぁぁぁっ⁉な、なんだぁ、この感覚はっ⁉」

警視庁のサイバー特別捜査室。最新型VRデバイス『Neuolink-V』を装着し、メタバース空間『AETHER』へとダイブした大野厳造が、己の手足を何度も見つめながら大声を上げた。

彼の視界に広がっていたのは、見渡す限り青く透きとおる空と、幾何学模様の美しい構造物がそびえ立つ未来都市。

そして大野自身のアバターは―しわくちゃのスーツ姿そのままだった。

「お、大野参事官、落ち着いてください!それは『触覚フィードバック』です!脳に微小な電気信号を送って、本物そっくりの皮膚感覚を再現してるんです!」

隣に顕現した比嘉瑠菜が、可愛らしいサイバー風のアバター姿で慌てて手を振る。

「…なるほど。重力も、風の温度も、完璧に再現されている」

賢人は漆黒のスーツ姿のアバターで静かに歩み出て、アバターの眼鏡のブリッジをスッと押し上げた。

「ですが、これは現実ではありません。視覚、聴覚、触覚の電気パルスを脳の第1次有感覚野へ直接打ち込んでいるだけの『高度な錯覚』です」

「ふん……。触った感覚はあるが、どことなく空虚な冷たさを感じるわね」

エラ・バンスまた、光の粒子を纏ったような美しいアバターで降り立ち、周囲の空間を観察する。

「賢人先輩、見てください!街の深部…あそこの黒いノイズに覆われた巨大な塔が、未開放エリア『楽園(エデン)』です!」 

比嘉が指差す先には、美しい都市の景観を切り裂くように、赤と黒のコードノイズを撒き散らす巨大なバベルの塔のような構造物がそびえ立っていた。

「よし、乗り込むぞ!」大野が拳を握りしめる。

だが、彼らが塔のゲートへ一歩足を踏み入れた瞬間――。

《ACCESS DENIED:REJECT UNLAWFUL USERS》

ゴオオオオオン……!

空間そのものが歪み、空が漆黒に染まった。地面から無数のコードの鎖が這い出し、チームslaboと大野の足元を縛り上げる!

「くっ…⁉身体が動かん!重力が増したみたいだ……っ!」

大野が歯を食いしばり、必死に脚を踏ん張る。

「物理法則(重力パラメータ)の改ざん…!敵は僕たちの脳へ直接『強烈な負荷の錯覚』を 送り込んでいます!」

賢人が冷静に分析する。比嘉が「く。キーボードが出せない…っ爆速ハックが

…っ!」と苦悶の声を上げる。

その時、塔の上空にホログラムの影が浮かび上がった。

白衣を纏い、冷たい氷のような瞳をした男—鳴海零だった。

『久しぶりだな、賢人』

鳴海の静かな声が、空間全体に反響する。

『君たちのような「現実の泥」に塗れた者が、この完璧な理想郷に土足で踏み込んでくるとはね』

「鳴海…!被害者たちの意識を返してもらうぞ!」藤堂のアバターが叫ぶ。

鳴海は憐れむような視線を向けた。

『返す?勘違いしないでほしいな。彼らは自らの意思で、この痛みのない『楽園』にとどまることを選んだんだ。現実世界の不治の病、孤独、絶望…そんなバグだらけの肉体を捨て、ここでは誰も完全な存在になれる』

『賢人、君なら理解できるはずだ。人間という不完全な筐体(ハードウェア)を破棄し、魂をコードへ昇華させることこそが、科学の到達点だと』

「…断るね」

賢人は重力エラーの圧迫に耐えながら、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。

「痛みや不完全さがあるからこそ、人は他者を思いやり、現実を乗り越えようとする。それをバグと呼び捨てるのは…ただの『現実逃避(エラー)』だ」

『相変わらず頑固だな。…ならば、その不完全な現実の重みとともに、ここで消えるがいい』

鳴海の手が振られると、空間の歪みが激しさを増し、データ削除プログラム(デリート・パルス)が一行迫り狂ってきた!

「比嘉さん、僕の脳波ログをアクセスポートへ直結しろ!」賢人の鋭い指示が飛ぶ。

「えっ…⁉賢人先輩、仮想空間での超思考は、脳への負荷が現実の数倍になりますっ!」

「構わない。僕たちの現実(クオリア)を…今ここでデバッグする!」

賢人の瞳から、解を導き出す超思考の青い光が爆発的に解き放たれた――!

第2話:ダイブ・イン・バグ  【完】

次回 [第3話:アバターの足跡 はこちら➡]

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第3話:アバターの足痕

「——解(コード)は見えた!」

賢人の瞳から放たれた鋭いロジックの光が、空間を満たす重力改ざんエラーを貫く。

「比嘉さん!Gravity_Offsetの数式パラメータに、僕の脳波から生成した逆関数を叩き込め!」

「は、はいっ!賢人先輩の超思考ロジック、直結(ダイレクト)インポート…爆速で叩き込みますっ‼」

比嘉の指先が虚空を駆け抜け、光のキーボードが出現する。

パァァァン…‼

空間を押し潰していた重密度の圧迫が一瞬で弾け飛び、チームslaboを縛り付けていた黒い鎖が光の粒子となって霧散した。

「ふぅ…身体が軽くなったぜ!」

大野が肩を叩きながら不敵に笑う。

上空に浮かぶ鳴海零の影が、かすかに不機嫌そうに目を細めた。

『さすがだな、賢人。仮想空間のプログラム領域へ直接脳波を介入させ、物理パラメータを書き換えるか。だが…この『楽園』の最深部へ至る扉は、単なるコードの計算だけでは開かない』

鳴海のホログラムが掻き消えると同時に、塔のゲート前に不気味な黒いモザイク状のアバター群が出現した。

「敵のセキュリティ・プログラム(ガーディアン)ね…!」藤堂が警戒の姿勢をとる。

「賢人先輩、ダメです!この防衛プログラム、攻撃を受けるたびにアルゴリズムを自己進化させて無敵化していきます!コードの解析が追いつきません!」

比嘉が汗を流しながら叫ぶ。

その時—。

おい。画面のコードばかり追ってんじゃねえぞ、お嬢ちゃん

重厚な声とともに、前に歩み出たのは叩き上げの刑事・大野厳造だった。

「お、大野参事官⁉危険です、そのアバターたちは物理攻撃が効かない…」

「ハッ!物理だろうがデジタルだろうが関係ねえんだよ」

大野は鋭い眼光で、迫りくる黒いモザイクアバター群の「足元」をギラリと睨みつけた。

「おい小僧(賢人)、よく見てみろ。この人形ども…動きは完璧な計算に見えるが、地面を踏みしめる『足音のズレ』と『ログの歪み』がある。こいつらは完全な人工知能じゃねえ。現実世界で意識不明になってる『被害者たちの残像(足痕)』をプログラミングの盾に使ってやがるんだ!」

「なんですって⁉」藤堂が息を呑む。

賢人の瞳が大きく見開かれた。

(そうか…!鳴海は被害者たちの脳波ログを防御壁(プロキシ)として利用している。だからランダムな挙動に見え、自己進化しているように錯覚していたのか…!)

「大野参事官…!よくぞ見抜いてくれました!」

賢人は不敵な笑みを浮かべ、眼鏡のブリッジをスッと押し上げた。

「足痕(ログ)のパターンさえ分かれば、被害者の意識を傷つけずに防御壁だけを切り離す(デバッグする)ことができます!」

「おうよ!泥臭い現場の足跡を拾うのが、俺たち警察官の仕事だ!」

大野が力強く大地を踏みしめる。

「比嘉!俺が指示する『足音のズレ(歩幅パラメータ)』のポイントに、ピンポイントで分離コードを叩き込め!藤堂、行くぞ!」

「了解です、参事官!」

昭和・平成の泥臭い刑事魂が、仮想空間のサイバー攻撃を見事に見破り、突破口を切り開いていく。

「大野参事官が指し示してくれたポイント…分離プログラム、照射‼」

比嘉の放った光のコードが黒いモザイクを直撃。被害者たちの意識ログが優しく解放され、防衛プログラミングが次々と霧散していった。

「す、すごいです…!警察官の勘と賢人先輩のロジックが、完璧に噛み合いました!」

「ふふ、見事な連携ね」エラが優しく微笑む。

開かれた最深部への扉。その向こうには、現実世界の身体を捨て、デジタル空間に永遠にとどまろうする被害者たちの意識、そして鳴海零の真の企みがまっていた―。

第3話:アバターの足痕 【完】

次回[第4話:崩壊する五感 はこちら➡] 

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第4話:崩壊する五感

ガーディアンを突破し、バベルの塔の最深部—未開放エリア『楽園(エデン)』へと踏み込んだチームslaboと大野参事官。

そこに広がっていたのは、満天の星空と、温かな光に包まれた息を呑むほど美しい白い花畑だった。

「ここが…『楽園』…?」

比嘉が思わず声を漏らす。花畑の中央には、何十もの光の繭(カプセル)が浮遊していた。その中には、現実世界で昏睡状態に陥っている被害者たちのアバターが、穏やかな表情で眠りについている。

「みんな…本当に穏やかな顔をしてる…」藤堂が歩み寄ろうとする。

だが、賢人が静かに手を出してせいした。

待ってください、藤堂さん。空間の微小振動(周波数)がおかしい」

賢人が眼鏡のブリッジをスッと押し上げた瞬間、花畑の光が赤黒く変色し、空間全体が強烈な「不協和音」に包まれた。

『ようこそ、世界の終着点へ』

花畑の中心に、鳴海零の本体アバターが姿を現わした。その背後には、巨大な周波数同調装置が不気味な拍動を打っている。

『ここにあるのは、一切の病も、老いも、別れの苦しみもない完璧な世界だ。彼らは自分の意思で、この安らぎを選んだ』

「自分の意思…だと?」大野が太い声で踏み出す。「騙すような真似して閉じ込めておいて、どの口が言いだしやがる!」

鳴海は冷ややかな笑みを浮かべ、手に持ったコントローラーを静かに操作した。

『ならば、君たちにも体感してもらおう。『現実』というバグがいかに虚しいかを』

キィィィィィィン——‼

脳孔を直接刺すような強烈なパルス波が室内を満たした。

「うっ……⁉があぁぁぁっ……‼」

大野が頭を抱えて膝をつく。同時に、藤堂も強烈な激痛に顔を歪めた。

「身体が……熱い……⁉皮膚が焼けるような痛みが…っ!」

「ハプティクス(触覚)のオーバーライド…!」比嘉が顔を蒼白にして叫ぶ。「敵は…『Neurolink-V』の電気刺激出力を上限解除して、脳に直接『全身が焼かれる激痛』の錯覚を送り込んでいますっ!」

「錯覚パルスの過剰注入…!脳が本物の激痛だと錯覚すれば、現実の身体すらショックを起こす!」

賢人も激痛に耐えながら、息を荒くして片膝をつく。

鳴海は冷徹な眼差しで、苦しむ彼らを見下ろした。

『これが君たちの愛する『肉体(現実)』の正体だ。痛み、苦しみ、不条理…。そんなバグだらけの存在を抱えて生きることに、何の意味がある?人間はコードになり、痛みのない世界へ移住すべきんだ』

「…違うわ」

過酷な激痛波形が吹き荒れる中、静かに前に踏み出した存在があった。

エラ・ヴァンスだった。

エラは一切の苦悶も見せず、透明感のある静かな瞳で鳴海を見つめていた。

「えら…さん…⁉」比嘉が叫ぶ。

「鳴海零。あなたの作戦は緻密で、提示する世界は確かに美しい…。けれど、あなたは決定的な勘違いをしているわ」

エラは一歩一歩、静かに鳴海へ近づいていく。

「痛みや悲しみがあるからこそ、人は誰かの優しさに温もりを感じ、互いの存在を尊いと思うことができる…。それを排除した世界は、ただの『静かな死』と同じよ」

『静寂こそが救済だ!妹の葵も……あの激痛の現実から解放されて、今ここで幸せに眠っている!』

鳴海の声に、初めて激しい感情の昂ぶり(乱れ)が混ざった。

「いいえ。彼女が求めていたのは、痛みのない箱庭(コード)ではなく…あなたと現実で笑い合う時間だったはずよ!」

エラは優しく手を伸ばし、鳴海の過剰なハプティクスパルスの周波数を、自らの生体波動で優しく包み込み、中和(キャンセリング)し始めた。

痛みの波が静まり返っていく。

「な…パルス波形が…相殺されている…⁉」鳴海が目を見開く。

「賢人…。あなたのロジックで、彼の歪んだコード(悲しみ)を解き明かしてあげて」

エラが振り返り、賢人に静かな信頼の眼差しを向けた。

正気を保ち直した賢人がゆっくりと立ち上がり、眼鏡の奥で不敵な光を宿した。

「…感謝します、エラさん。…鳴海、君の『N-Zero方程式』のバグ、僕がデバッグしてみせる!」

現実と虚構の挟間で、賢人と鳴海の最後のロジックバトルが始まろうとしていた―!

第4話:崩壊する五感 【完】

次回 [第5話:現実と虚構の境目 はこちら➡]

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第5話:現実と虚構の境目

「『N-zero方程式』…。一見すると完璧な非線形多様体の幾何学構造だが、鳴海、君は重大な欠陥(バグ)を見落としている」

エラが中和した静寂の中で、賢人の静かな声が響き渡った。

賢人が一歩踏み出すごとに、足元から青い数式(コード)の波紋が「楽園(エデン)」の花畑へと広がっていく。

「欠陥だと…⁉ 戯言を!この方程式は、人間の意識を100%デジタル情報に変換し、肉体という制約から完全に解き放つための絶対の解だ!」

鳴海が感情を露わにして叫ぶ。背後の脳波同調装置が、激しい赤い光を放ち始めた。

「いいえ、鳴海さん。賢人先輩の言う通りです…!」

比嘉がノートPCを叩きながら、解析画面を空中に投影する。

「この空間のデータ通信ログ…『一方向(送信のみ)』になっています!ユーザーの脳から情報を受け取るだけで、現実の身体へのフィードバックを戻す回路が最初から遮断されているんです!」

「…それがどうした」鳴海が冷ややかに言い放つ。「戻す必要などない。現実の身体など、いずれ朽ち果てればいい」

「それが君の最大のバグだ、鳴海」

賢人は寸分の狂いもなく眼鏡のブリッジをスッと押し上げた。

「情報理論において、完全な事故閉鎖型システムは『熱的死(エントロピーの極大化)』を免れない。外部(現実)との相互作用を断ち切った意識データは、最初は理想郷に見えても、時間とともに情報が劣化し…最終的には『無限の無(ノイズ)』へと崩壊する」

「な……に……?」鳴海の顔から色が失われていく。

「君が作ったこの『楽園』は、救済の場などではない。被害者たちの意識を…そして君自身の妹・葵さんの魂を、ゆっくりと消滅させる『デジタル火葬場』だ!」

賢人の一言が、雷鳴のように空間を突き刺した。

「そんなはずはない…!私は葵を…葵の痛みを救うために…‼」

鳴海の動揺に呼応するように、白い花畑が激しく歪み、空中浮遊していた光の繭(被害者たちの意識カプセル)が次々と赤く明滅し始めた。

《WARNING:ENTROPY OVERFLOW—SYSYTEM IN 180 SECONDS》

「システムが崩壊を始めたぞ!このままじゃ全員の意識がノイズになっちまう!」

大野参事官が声を張り上げる。

「鳴海!自分の間違いを認めろ!妹さんを本当に救いたいなら、今すぐ現実へ引き戻せ!」

藤堂も叫ぶが、鳴海は「う……あぁぁぁっ……!」と頭を抱えて崩れ落ち、錯乱状態に陥っていた。自分の方程式の欠陥を突きつけられ、完全なる拒絶反応を起こしている。

「ダメです!鳴海本人の管理情報(管理者ID)がフリーズしました!システムの緊急停止ができませんっ!」比嘉が悲鳴をあげる。

「賢人」エラが静かに語りかける。「彼を救いなさい。そして、囚われたすべての人々を」

「…ええ」

賢人の瞳に、すべての計算を凌駕する絶対的な決意の光が宿った。

「比嘉さん、僕の脳波のダイレクトアクセス権限を『AETHER』のコアシステムへ全開放しろ。僕が直接、この閉じた世界の構造を再構築(デバッグ)する」

「賢人先輩⁉そんなことしたら、賢人先輩の脳がエントロピーの逆流に巻き込まれて…!」

「僕には…仲間がいる。僕を現実につなぎ止めてくれる『確かな手』がある」

賢人はエラ、比嘉、藤堂、そして大野参事官を順番に見つめ、不敵な笑みを浮かべた。

「全員の意識ログを現実(リアル)の身体へ書き戻す。…デバッグ、開始だ!」

光と数式が賢人を包み込み、現実と虚構の境界線(フロンティア)を懸けた、最後の演算が解き放たれる――!

第5話:現実と虚構の境目 【完】

次回 [第6話(最終話):触れられる世界 はこちら➡]

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第6話:触れられる世界

《ENTROPY CRITICAL:SYSTEM OVERWRITE COMMENCED》

空間全体が崩落していく。美しい白い花畑がコードの破片となって夜空へと舞い散り、歪んだ虚構の世界が剥がれ落ちていく。

「ぐ……うああぁぁぁっ……‼」

閉鎖型メタバース『AETHER』のコアシステムへ直結した賢人の体(アバター)に、数千万ギガバイトにおよぶデータのエントロピーが津波のように逆流して押し寄せる。

「賢人先輩っ!脳波レベルが危険域です!このままじゃ賢人先輩の意識までノイズに吞み込まれちゃいますっ!」

比嘉が叫び、泣き出しそうな顔で光のキーボードを叩き続ける。

「小僧!頑張れ‼」

大野参事官が激しいデータの暴風の中、脚を踏ん張り、賢人のアバターの肩を力強く掴み叩いた。

「画面の中の幻なんかじゃねぇ!俺たちの手が、足が、ここにある!現実へ帰るぞ‼」

「ええ……!」

賢人は歯を食いしばり、眼鏡の奥の瞳に青い思考の光を最大限にみなぎらせた。

「Entropic_Loopを破棄…『一方向型通信』のコードを書き換え、双方向の現実帰還プロトコル(リアル・フィードバック)へ再定義(デバッグ)する…!

賢人の指先から放たれた光の方程式が、天空に浮かぶ無数の『光の繭』を優しく包み込んでいく。

カチ、と世界が反転するような澄んだ音が響いた。

繭の中に眠っていた被害者たち、そして鳴海の妹・葵のアバターが、温かな光の粒子となって現実世界(自らの身体)へと次々に送還されていく。

「葵…!葵っ…‼」

錯乱していた鳴海零が、光となって消えていく妹の残像へ手を伸ばす。

その時、消えゆく葵のアバターが静かに振り向き、柔らかく微笑んだ。

『お兄ちゃん…温かいよ。…私、お兄ちゃんと一緒に、もう一度現実で歩きたい…』

「あ…あぁ…葵ぃ…っ‼」

鳴海はその場に崩れ落ち、虚空の空に向かって涙を流した。

「…デバッグ、完了だ」

賢人が静かに呟くと同時に、空間全体が眩しい光に包まれ――

ハッ…‼

 警視庁のサイバー特別捜査室。

VRデバイス『Neuro link-Z』を外した賢人が、静かに体を起こした。

隣では、大野参事官が猛然とゴーグルをひっぺがし、深く息を吐き出している。

「ハァ…ハァ…!クソが、とんでもねえ『現場』だったぜ」

そして、各所の病院から次々と朗報が入ってきた。

昏睡状態に陥っていた12名の被害者全員が意識を取り戻し、病室で家族と手を握り合っているという。鳴海の妹・葵もまた、無事に意識を取り戻し、容体は安定していた。

数日後。秋晴れの澄み渡る空の下、千代田区の『slabo』事務所。

「賢人兄ちゃん!今日は『現実の触覚』を味わう特製焼きたてアップルパイだよ~!」

のあが焼きたての香ばしいパイを運んでくると、事務所全体に甘い香りが広がる。

「うわぁぁ!サクサクでめちゃくちゃ美味しいですっ!」

比嘉がパイを頬張りながら声を弾ませる。

窓辺では、エラが穏やかに注いだジャスミンティーから温かな湯気が立ち上っていた。

そこへ、重い足音とともにドアが開く。

「邪魔するぞ」

現れたのは、大野参事官と藤堂警部だった。

大野は不機嫌そうに鼻を鳴らしながらも、手にした紙袋をテーブルの上に置いた。

「鳴海零は送検された。…だがあいつ、病院で妹の手を握りながら『現実の医療と情報技術を正しく融合させる研究をやり直す』と言っていたよ」

「…そうですか」

賢人は静かに立ち上がり、寸分の狂いもなく眼鏡のブリッジをスッと押し上げた。

「現実(リアル)には、病や痛みというバグがあります。ですが…それを乗り越えようとする人間の意志と、互いに触れ合える温もりがある。それこそが、解き明かすべき最も美しいロジックです」

「ハッ、相変わらず生意気な口を叩く小僧だ」

大野は大げさに肩をすくめると、不敵な笑みを浮かべてパイポを噛みしめた。

「だが…悪くねえ。お前たちのその鼻持ちならねえロジック、たまには現場でまた使わせてやるよ」

「ええ。いつでもデバッグしてみせます」

窓から差し込む秋の陽光が、チームslaboと大野たちの温かな笑顔を包み込んでいく。

虚構を超え、現実の温もりを抱きしめた彼らの冒険は、これからもこの世界とともに続いていく――。

第4部『虚構のメタバース』 【完】

 

次回 第5部 鋭意作成中

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