第4話:心のなかの「モノサシ」
一
「はあ…SNSを見るたびに、なんだか自分がすごくちっぽけに見えてきちゃって」
金曜日の夜、喫茶「ラプラス」のカウンターに座ったのは、アパレル店員の絵里(えり)だった。彼女はスマートフォンを伏せテーブルに置き、トボけた声でコーヒーカップを眺める。
カウンターの向こうでグラスを拭いていたマスターの来栖は、手元を止めずにふっと目を細めた。「SNSですか。他人のキラキラした生活ばかりが目に入ると、自分の足元が急に色褪せて見えるものですよね」
「そうなんです!同期のあの子は昇進して、別の友達は素敵なパートナーと旅行に行って…。それに比べて私は、毎日ただ仕事をして帰ってきての繰り返し。なんだか人生の勝負に負けてる気がして、すごく焦るんです」
来栖はグラスを置き、絵里の前に淹れたての深煎りブレンドを滑らせた。「絵里さん。それはあなたが劣っているからでも、負けているからでもありません。人間の脳に備わった、ごく自然な『心のバグ(認知の偏り)』のせいです」
理恵はきょとんとして顔を上げた。「心のバグ、ですか?」
二
「そうです」来栖はカウンターに肘をつき、穏やかに話始めた。「社会心理学では、人間には自分を他人と比較して評価しようとする本能があることが分かっています。これを『社会的比較理論』と言います。太古の昔、人間は集団の中で自分の立ち位置を確認するために他人と比較する必要があったんです」
「自分の立ち位置を確認する…それって悪いことじゃないですよね?」
「問題は、現代のSNSという環境です。昔はせいぜい村の数人と比較していたのが、今はネットを通じて『世界中のキラキラした一握りのハイライト映像』と自分を比較してしまう。しかも、他人は『見せたい自分』だけを切り取っているのに、自分は『日常の泥臭い裏側』のすべてを知っている。いわば、『他人の華やかな舞台裏のハイライト』と『自分のリアルな舞台裏』をガチンコで比較しているわけです」
絵里はハッとしたように目を見開いた。「…あ…。私、あの子の綺麗なところだけ見て、自分の冴えないところばっかり数えてたんだ…」
「その通りです。心理学ではこれを『認知の歪み』とも呼びます。自分の物差しではなく、他人が勝手に作った歪んだモノサシで自分の価値を測ってしまうから、必要以上に苦しくなるんですよ」
三
じゃあ、この比べちゃう癖って、どうやったら直るんでしょうか?」
「直す必要はありません。比べるのをやめるのは人間にとって至難の業ですからね」来栖はクスリと笑った。「大切なのは、モノサシを持ち帰ることです。他人の軸ではなく、『昨日の自分』という絶対的な軸で測る。昨日より少し美味しいコーヒーが淹れられたとか、昨日より10分早く起きられたとか。比較の矢印を『他人(横)』に向けるのではなく、『過去の自分(縦)』に向けるんです」
絵里はゆっくりとコーヒーカップを両手で包み込み、温もりを手のひらで感じた。「過去の自分、か…。そういえば私、先週まで着こなせなかった洋服のコーディネート、今週はすごく上手にできるようになったな…」
「ほら、ちゃんと成長しているじゃないですか」来栖は優しく微笑み、ポットからお湯を足した。
「他人のステージで踊らされる必要はありません。あなたの人生の主役は、あなた自身なんですから」
外の夜空には、都会の喧騒から離れた静かな月がぽっかりと浮かんでいた。絵里の表情に宿っていた焦りはすっかり消え、自分のペースを取り戻した穏やかな笑顔が戻っていた。
(つづく)
———今夜の処方箋:科学の小部屋———
~なぜ私たちは他人と比べてしまうのか?心理学が教える「社会的比較」の罠~
物語の中でマスターが語っていた「社会比較理論」と「認知の歪み」。SNSを見るとなぜかモヤモヤしたり、自己嫌悪に陥ったりしてしまう現象の裏には、人間が持つ心理的なメカニズムが深く関係しています。
当ブログのこちらの記事では、心理学の視点から「他人との比較グセ」の正体を解き明かし、自分の軸を取り戻して心が軽くなるための具体的なマインドセットを詳しく解説しています。ぜひチェックしてみてくださいね!


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