深夜2時、首都圏の全自動運行を統括する「レインボーブリッジ湾岸インフラ管制センター」。
大雨が降りしきる中、重厚な警戒態勢が敷かれたセンターのメインっ制御室には、緊張感が立ち込めていた。
大野参事官率いる捜査員たちと、藤堂の要請で急行したチームslaboが大型モニターの前に集結している。モニターには、首都圏中の電車、自動運転バス、物流トラックの運行ルートが網の目のように揺らめいていた。
「…賢人先輩!敵の潜伏サーバーから高周波パルスのカウントダウンが始まりました!あと4分で首都圏の交通信号と自動ブレーキシステムが完全にオーバーロード(暴走)しますっ!。
比嘉がノートPCを膝の上で叩きながら、切羽詰まった悲鳴をあげる。
「なに…⁉あと4分だと⁉」
大野参事官が太い声を張り上げ、怒号を飛ばす。
「前線停止の指示をだせ!電車もバスも全部止めろ!」
「ダメです。大野参事官!」藤堂が鋭く制する。「今この瞬間に手動で強制停止させれば、高速道路での追突事故や電車の脱線で数万人の参事になります!敵のパルスをシステム内部で打ち消す(デバッグする)しかないんです!」
「クソが…!画面の文字(コード)いじくって何とかなるレベルじゃねえだろ!」
大野が悔しそうに拳を壁に叩きつける。
「――黙ってください」
静かな、しかし氷のように冷たい声が響いた。
椎名賢人だった。
賢人は眼鏡を外し、デスクに置くと、両手で頭を抱えるようにしてモニターのコード群を凝視し始めた。
「賢人…先輩…?」
比嘉が息を呑む。賢人の雰囲気が、いつもと明確に違っていた。
賢人の瞳から、人間らしい感情の光が完全に消え失せていた。その眼球が、数秒間数百行で流れ落ちるログプログラムを網膜に焼き付けるように、恐ろしい速度で左右に高速運動を始めている。
(思考速度を上限解放……脳内ニューロンの過剰共振……全パラメーターを解の導出へ集中…)
賢人の頭皮から、目に見えるほどの微かな熱気が立ち上がり始める。息が荒くなり、皮膚の毛細血管が浮き上がり、体温が急上昇していく。
「あ…あ…あ…」
賢人の唇から、意味をなさない数式と論理記号の羅列が、壊れた機械のように漏れ出し始めた。
「PhaseShift…0.0001…いや、違う…ノイズ干渉波形が多元化している…解がない…解がない…解がない…!演算領域を120%へ拡大…感情回路を全遮断して
処理能力を全振りする…!」
「賢人先輩⁉ダメです。これ以上思考を加速させたら脳の微小管が焼き切れちゃいますっ!賢人先輩っ‼」
比嘉が泣き出しそうな声で叫ぶ。
「おい、小僧!しっかりしろ!」
大野も目を見張り、その異様な光景に圧倒されて思わず手を伸ばしかけた。賢人の皮膚は真っ赤に火照り、呼吸は浅く、意識が「完全なる計算器」へと没入し、二度と戻ってこられない深淵へと滑り落ち始めていた。
その時——。
静かな、波一つ立たない水面のような歩調で、エラ・ヴァンスが歩み寄った。
「賢人」
周囲の喧騒と電子アラーム音をすっと切り裂く、澄み切った静かな声。
エラは、加熱し、激しく震える賢人の右手に、自らの涼やかで柔らかい手を―そっと優しく重ね合わせた。
「…っ⁉」
過剰共振を起こしていた賢人の脳波(微小管)に、エラの指先から伝わる穏やかな生体波動が、波紋のように広がっていく。
「もう十分よ、賢人。あなたは人間であって、冷たい演算機械ではないわ」
エラは東洋的な深い眼差しで賢人を包み込むように見つめ、静かに語りかけた。
「一人で全ての数式を背負う必要はないの。…ほら、隣を見て。あなたに『泥臭い現場の真実』を教えてくれた刑事さんが、あなたを信じて立っているわ」
「えら……さん……」
エラの手から伝わる温かさと、ハーブのような安らぐ香りが、過熱していた賢人の超思考を優しく解きほぐしていく。
賢人の瞳に、ゆっくりと生きた人間の光が戻ってきた。
ハッと息を吐き出し、深く肩を上下させながら、賢人は机の上の眼鏡を手に取り、スッとブリッジを押し上げた。
「…すいません、エラさん。少し熱くなりすぎました」
「ええ。良い顔に戻ったわ、賢人」エラが優しく微笑む。
賢人はゆっくりと振り返り、呆然と立ち尽くしていた大野参事官の目を真っ直ぐに見据えた。
「大野参事官。…あなたの足で稼いだ『超周波スピーカーの音響特性』のデータ、今すぐに僕にかしてください。僕のロジックをあなたの現場の足跡を合体させて、このバグを完封します」
大野は息を呑み、噛み締めていたパイポを胸ポケットに仕舞うと、不敵な笑みを浮かべた。
「…おうよ、小僧!俺の現場魂、最高の数式に組み込んでみろ‼」
相容れなかった二人の「正義」が、ついに一つの解ひと重なり合った――!
第3話:暴走する超思考 【完】

コメント